店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

琉球新報:落ち穂(H3.9.16)

 『八月踊りと島唄』

 旧暦の八月だ。夜になるとシマのあちこちで、八月踊りの集団歌と太鼓(チヂン)の音が、涼しくなった夜風に舞って流れてくる。だれもが心を浮きたたせたくなる季節の到来だ。

 二〜三日間、部落総出で各戸をめぐり、その家の一年の果報を願いながら夜どおし歌い踊りつづけるこの風習を、薩摩は「風紀上よくない」と再三中止してきたが、現在までしっかり生きぬいてきた。男組と女組が交互に上の句と下の句をかけあいながら、相手がこたえられなくなるまで歌い踊りついでいく歌掛け習俗と、各シマによって文句やテンポや仕草が違う集団芸も、しかし、今ではどこのシマでも即興的なかけあいのできる後継者が少なくなってきて存続があやぶまれているのが現状だ。

 奄美のシマ唄も変わりつつある。わずか十四万人の小さなシマジマから、民謡日本一を既に三人もだしている奄美の島唄は、島人のくらしのなかから培養されてきたアイデンティティの結晶ともいえる。

 なにかコトがあったり、つどいがあるとさっそく唄遊(あし)びになり、出会者全員がオリジナルののどを披露してたのしんできた習俗も、最近変容がいちじるしい。各戸で歌われていたシマ唄は、今ではステージや教室やテレビなどで接する方がおおくなってしまった。この十数年来、コンクール制が普及し教室が開かれ、生徒は師匠のモノマネをするのがもっぱらになりつつある。

 沖縄とちがって、奄美の芸能には本来、古典も民謡もなく、それぞれの日常のいとなみのなかで歌と踊りが同居していただけだった。もちろんプロの歌いてや踊りてなどという家元的職能も存在したことがない。

 「本土なみ」とか、「沖縄なみ」を志向している潮流が奄美の大勢であるかぎり、この流れはとまらないだろう。奄美の方向性は「奄美なみ」を模索して当然ではないか。

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