店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

琉球新報:落ち穂(H3.8)

 『類須恵器圏』

 最近機会を見つけては首里にすむ友人で、琉球南蛮焼の焼き物師・松島朝義さんのところにお邪魔して、話をうかがうのを楽しみにするようになった。

 焼き物の世界にはまったくく門外漢である私が興味をおぼえはじめたのは、三年前、M氏の徳之島ゆきに同道できたのがきっかけだった。伊仙町の阿三(あさん)という集落は長寿世界一の泉重千代翁で有名になったシマだが、ここにはカムィ(カメ)焼古窯群という中世の大規模な生産地があって、松島さんから、ここは琉球弧という概念を物証化できる大変重要な意味を持つ窯(かま)なんだ、という熱心な説明を聞くうちに私は、これだ!!と実感した。

 島尾敏雄さんが〈琉球弧〉という地理学の用語を借りて奄美と沖縄を結んで久しいが、動物地理学の〈東洋区〉という世界でも両者は通底している。では、そこに住むヒトはどうであったのか、切れていたのか、結ばれていたのか。琉球弧に第一尚氏の統一政権ができるまでの時代、按司とかグスクの時代、あるいはおもろの時代のことだが、シマ島のグスクから考古学上問題になってきた〈類須恵器〉とよばれるカメが、北はトカラから南は先島までの琉球弧圏内にかぎり出土しているという。ヤマトゥでは中世と呼ぶ時代に、徳之島のカムイ焼き窯で焼かれたカメガメが、琉球文化圏を象徴する各グスクに伝播(ぱ)していたという事実に接する時、そのころの交通の背景やヒトビトのいとなみまで想像してしまう。

 各地のグスクから出土する徳之島産の類須恵器は、聖域で使用されていた神器であり、そこには神酒(みき)が盛られ、神と人との饗応があった。類須恵器を通して同一宗教圏の構造がみえてきそうだ。

 考古地理学とも呼べる〈類須恵器圏〉!!この新しい視点を開眼してくれた松島さんに奄美から感謝感謝。

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