店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

新沖縄文学:No.81(1989.9.30)

『海峡のグスクから』

 一九六九年、私は生まれてはじめて、与論島の南端の絶壁をなした高地に佇んでいた。そこには琴平神社というヤマト風の社が建ってはいるが、もともとは古琉球時代のグスク(城)跡で、現在でも地元ではグスクと呼ばれている。そのグスクにたたずんでいると、二七度線の海峡のむこうにオキナワ本島の北端・辺土の森々が視界にとびこんでくる。

 じーっ・・・と焦点をあわせていると瞬間、私はハブにうたれたかのような得体のしれないショックを受け、うちふるえている自分の身をおしとどめていることができなくなってしまった。
 「オキナワ・・・オキナワだぁ……」一体この身のふるえと血の騒ぎは何なんだ。どこから、だれが、どんなエネルギーを送って私の身と交信しているのだ。私の家系にナハンチュ(ウチナンチュウのことを奄美大島ではこう呼んでいる)筋の先祖の話はきいたことがない。

 祖父が若いころ、浜辺でひろった龍の糞をナハに売りにいってみやげをたくさんつつんで帰ってきた話と、父がアマミの復帰前にナハとの密貿易でつくった財を、あらかた押収されたという話をきいたことがあるくらいで、オキナワに特定の関心があったわけでもないこの私の身に、あの時いったい何が反応したのだろうか。

 それからもう二十年。私はあの時の反応の根拠を求めて、私なりの交通の仕方でオキナワをさすらってきた。おもうに旅とは異郷へのいざないであるはずだが、オキナワを交通していると、ここは異郷ではなく同郷、あるいは源郷ではないかという念によくとらわれてしまうのである。風景でも風俗でも、それぞれがおきざりにしわすれさったものが、補完的に残存し連結しているという関係において同郷・源郷なのである。たとえば八重山を歩いていて、水田に悠然と遊ぶ水牛にでくわしたりするとき、八月十三夜のトゥバラーマ大会で広場の聴衆にまぎれこんで一人うずくまっているとき、豊年祭のシマにとまりこんでシマの人々の一日をながめているときなどに、同郷の念をかりたてられてきた。

 そのおもいは、東南アジアの国々を一年間めぐり歩いていた時のおもいとあい通じるものがありそうな気がする。しかし、オキナワが発光してくる私の中の同郷意識は、逆に、同時に、強烈な異郷意識をも喚起してくるのである。たとえば、琉球王朝時代に華ひらいた美術や芸能のきらびやかさと重さに対面するとき、基地とレジャーとネオンサインのエネルギーで不夜城のようなマチを遊泳するとき、オキナワの人々から、アマミの人々が「ウーシマ(ドッコイ)」と蔑称され、実際、選挙権等で不当な差別を受けつづけてきた事実に接するときなどに、オキナワはやはり異郷でしかないのだ。

 この〈異郷にして同郷〉〈同郷にして異郷〉という内部/外部の異同質の交通についておもいわずらってくると、そこは私にとって泥沼の世界だ。たとえば、谷川健一氏の「日本本土と奄美・沖縄とは母を同じくし、父を異にする社会である。母とは民俗であり、父とは歴史である」という実にシンプルな分析を、私なりに「オキナワとアマミとは母を同じくし、父を異にする社会である。母とは民俗であり、父とは歴史である」と読みかえたとき、オキナワの人(たち)はどう思うであろうか?

 あるいは、谷川雁氏の「(オキナワが)日本そのものと向きあったとき、日本に属していて属していないか、あるいは日本に属していないが属しているという半所属または二重所属の心情が生まれる」という深い分析の仕方を、私なりに「(アマミが)オキナワそのものと向きあったとき、オキナワに属していて属していないか、あるいはオキナワに属していないが属しているという半所属または二重所属の心情が生まれる」と読みかえたとき、オキナワの人(たち)はどういおもうであろうか?

 またオキナワの人(たち)は、このような発問を日常的にかかえこんでいなければ、自らの全体性を回復できずにいるアマミにいる私をどうみるであろうか?またオキナワとアマミの関係性は、オキナワ内部にも(例えば宮古・八重山との関係で)同じ構造をはらんでいはしないか?

 それぞれのシマジマのきずなが安易な〈琉球弧〉や〈ヤポネシア〉や〈南島論〉というくくり方にとらわれてしまって、不毛な連帯の意識だけで手を結ぶとき、そのゆくすえは双方に悲惨であろう。たとえば歴史の中で、オキナワが切り結んできた〈アマミ征伐〉〈アマミ処分〉という過去の遺産を今の私たちは、はたして乗りこえることができる確かな根拠を共有しえているだろうか?

 かつてオキナワに移りすもうと決意したことがあって、整理をするためアマミに戻ったことがある。しかし、アマミの地に足を踏みいれ、風を深々とすいこんだとき、私はオキナワという竜宮の眠りから覚醒してしまった。今家路を急ぐ私にとってオキナワとは一体何なのか?そこにいるだけでエネルギーを吸収されてしまいかねないオキナワというエネルギーは、やはり異郷のエネルギーではないか?そしてオキナワのいごこちのよさと消耗感は東アジアや東南アジアのそれとも通底しているにちがいない。その通底坑はきっと私ともアマミともつながっていて、地表にでてくるとそれぞれの土地の顔になってしまうにちがいない。だから異郷であっても同郷のよしみをおぼえるのだ。

 オキナワにくらべたら何もないようにおもわれたアマミのシマジマが、ニライカナイの蓬莱島そのもののようにさえ思えてくる。もしそうでないとしても、ニライカナイと私の身は必ず通底しあっているという安堵感はあるのだ。

 どこかで声がする。「遠さど物聞く」「灯明台もと暗し」私はひたすら家路を急ぐ。与論島のグスクでおこったあの身のふるえと血のぞめきは、私のうちに今も同居したままだ。

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