店主のつぶやき これまでの「店主のつぶやき」をあらため、アナログメディアに書いてきたものを収めています。
更新は少ないかと思いますが、バックナンバーを読まれた感想などもお寄せください。

「奄美と鹿児島をつなぐ橋、西田橋(3)

五年前に書いた共著です。
石橋の解体という現実をどう考えたらいいかという問題を、子どもたちにもわかるように書いたものです。
鹿児島県の中の奄美をとおして、みんなの未来をかんがえてみました。
10ページほどの小論ですが、HP用には少々長いので、三〜四回にわけて連載します。

『かごしま西田橋』(共著)
南方新社1995年12月20日発行
196ページ1456円(税抜き)

『鹿児島の歴史認識』

戦後五十年を迎えた一九九五年の夏は、日本の「しんりゃく侵略」や「しょくみんちしはい植民地支配」や「しゃざい謝罪」などをめぐって、たくさんのニュースが流れました。私は奄美大島でそれを見ながら、「日本とアジアの関係」をすべて「鹿児島と奄美の関係」におきかえてみる変なくせがついてしまいました。そのなかから二つだけ紹介します。

一つは、「村山首相は八月十五日午前、首相官邸で記者会見し、戦後五十年にあたっての首相談話を発表した」という新聞記事です。

「首相はこの中で、過去の戦争に関し『国策を誤り、植民地支配と侵略によって、アジアの諸国民に多大の損害と苦痛を与えた』との歴史認識を示した。その上で『痛切な反省と心からのおわびの気持ち』を表明。平和の理念と民主主義を堅持する重要性を強調した」

日本が戦後はじめて認めた「国策の誤り」、「植民地支配」、「侵略」、それらに対する「反省とおわび」に私は心からの拍手をおくりながら、次のようにおきかえて読んでみました。

「鹿児島県知事はこの中で、過去の南島経営に関し『県策を誤り、植民地支配と侵略によって、奄美・沖縄の諸島民に多大の損害と苦痛を与えた』との歴史認識を示した。その上で『痛切な反省と心からのおわびの気持ち』を表明。平和の理念と民主主義を堅持する重要性を強調した」

もう一つは、「八月十五日、ソウルのきゅうちょうせんそうとくふ旧朝鮮総督府(現国立中央博物館)の一部が取りこわされはじめた」というニュースです。

「ここは、日本が朝鮮半島を植民地支配するために置いた最高行政機関だった建物で、時のけんりょく権力のちゅうすう中枢として激動の韓国現代史を見つめてきた。来年いっぱいかかる予定の総解体には約五億五千三百万円、さらに撤去・移転費用が約千二百億円以上かかるといわれている。この巨大な費用もさることながら、朝鮮日報が『日本支配の証拠を残しておくことこそが大事』と論陣をはっている。

『日本がドイツと同じように、国家としての侵略責任を明確にしていたなら、韓国の解体推進派の人々にとって、いまわしいだけの存在ではなく、建設美をもつ文化財としての価値を理解してもらえたかもしれませんね』という日本人の感想が印象的だった」

この記事を読んだとき、私は、次のようにおきかえてよんでみました。「この巨大な費用もさることながら地元紙が『鹿児島県の奄美支配の証拠を残しておくことこそが大事』と論陣をはっている。

『鹿児島県がドイツと同じように、県としての奄美への侵略責任を明確にしていたなら、奄美・沖縄の五石橋の解体推進派の人々にとって、いまわしいだけの存在ではなく、建設美をもつ文化財としての価値を理解してもらえたかもしれませんね』という鹿児島県人の感想が印象的だった」

ここで私がいいたいのは、侵略の歴史を象徴する旧朝鮮総督府は、再び日本が過ちをおかさないために、日本にすむ私たちにとっても貴重な負の歴史を証言してくれる大切な建物だったということです。同じように、西田橋も、奄美と鹿児島の関係を象徴する歴史遺産だと思います。しかもまだ、鹿児島を代表する知事が、奄美にたいして正式な「反省とおわび」をしたことなんて、ただの一度もないのですから。

『橋たちの呼びかけ』

川にかかっている橋は、川のこちらがわとあちらがわの世界を自由に結んでくれます。

これまで、奄美の歴史を中心にお話ししてきましたのは、私たちは西田橋という歴史の文化遺産を通ることによって、たとえば、奄美と鹿児島市というたがいに遠くはなれた地域と地域のあいだを、自由に行ったり来たりすることができると思ったからです。それは同時に、県内外の各地域と鹿児島市という地域を、自由に結んでくれる心のかけ橋でもあるのです。

私たち人類は、「富と権力の蓄積」のために地球上の自然や文化を破壊し、経済をふくめた戦争をくりかえしています。大都市という地域たけでなく、私たちそれぞれの小さな地域でも、すべてに同じような破壊と戦争がおこなわれています。それは人類にはもうさけられない運命なのでしょうか。

私はそうは思いません。私たちは地球上のすべてのものと関係があるように宿命づけられています。これまで人類を動かしてきた「富と権力な蓄積」を目標とする生き方に対して、今、地球上のそれぞれの地域で、それぞれの人たちが、「私たちが本当に望んでいることは、地球上のすべてのものたちと一緒に生きていくことなんだ」と声をあげ、その実現に向かって歩みはじめています。それぞれの声と歩みは、地球上のすべてのものに関係がありますから、そのうち人類全体の声となり、目標になっていくことでしょう。

ある宇宙物理学者が"宇宙の中心は自分がいる所であり、自分がいる所は同時に宇宙のはしっこである"といいました。このようなバランスのとれた考えを、みんながもつようになってくると、この世にあるものはすべて自由で平等なんだという考えに結びついてくることでしょう。

私たちはどんなに小さくとも、宇宙という広い世界のことのすべてを、一瞬にして考える能力を与えられています。広い宇宙にくらべたら、地球や鹿児島県でおこっている具体的ないろいろなことを考えることはたやすいことです。

「私は、すべての人や、生き物、石や砂あるいは水といっしょに生きていける、鹿児島や地球であってほしいのです。そのためには、地域の住民が主役の地域づくりをやっていくのが、一番いいと思うのです」

甲突川にかかる西田橋の最後のよびかけを、私たちはみんなで耳をすませて聞きに行きましょう。そして、それぞれが聞いた橋たちの声を、それぞれの地域のくらしのなかで生かしていきましょう。


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