店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

南日本新聞:南点(H11.12.14)

「旅、一年間」

 年の瀬もつまり、一年間という時の移ろいと空間の広がりかたを考えさせられている。 

 「三七(みな)の会」「イヌチマンディ」「奄美の自然と平和を守る郡民会議」「奄美の明日を拓く郡島民の会」「らい予防法国賠償訴訟の勝利に向けて共に歩む奄美の会」…今年からスタートした会だが、いずれも準備から加わってきたので超多忙の一年間だった。それにこの「南点」も…。

 鹿児島県人と沖縄圏人の淵で泳いでいるアマミアン(人)。高卒後、ぼくはアマミアンの居場所を求めて、北海道や沖縄など日本国の周縁を回游するはぐれ魚だった。  そのうち旧植民地の韓国や台湾を泳いでいたら、中国西南部やインド方面、東南アジアから太平洋のオースロトネシア語族が気になってきた。一心に五十万円ほど稼いで、東京〜バンコック往復の一年オープンのチケットを手に旅たった。カネがつきるまで…。中国などには入国不可の七十年代後半のこと。

「俺たちは目つきや歩き方で人種がわかる。おまえはジップン(日本人)か?本当は何族だ?」。タイとカンボジアの国境ぞいの難民キャンプで。

「日本からのヒモつき援助でこの国は腐ってる。俺たちが再生するんだ」。インドネシア・バンドンのレゲー学生たち。

インドやネパールではよく夜道に迷った。虎も怖かったが、ベンガルの村では漆黒の闇に奄美の「すらよい節」が…?!民家のラジオからだ。そっくりだった。「道はまっすぐ!」シバ派の修行僧・サドゥの声。

 フィリッピンのスラム街で見つけた「韓国名産浅草海苔」(?!)をみやげに、ちょうど一年後のナリタに降りたのだが、さてそのクニは、速度・密度・物価・情報・教育・グルメ・自然破壊……何もかもがトゥー・マッチの異星に映った。

おり返し戻るつもりでリュック一式をインドの友人宅に預けてきたのだが、父の病気で延期になり、二十年の光陰が流れた。「俺はアマミで旅してるぜ」。

インターネットでホームページを開設したら、あのころの友人からメールが届いた。国や民族や宗教の向こう側では、世界のすべてがつながっているのだ。

(森本眞一郎)

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