店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

南日本新聞:南点(H11.8.9)

歴史認識

 一瞬、目が点になった。

 「鹿児島と沖縄の交流活発化」「負の歴史超え友好を」「島津32代当主修久 氏が仕掛け」「合同茶会、RC盟約計画」…本紙七月二十三日づけの社会面だ。
 カコミには、「薩摩藩が琉球王国に侵入し、支配下に置いたのが一六〇九年。そ れから約四百年後のいま、過去の負の歴史を乗り越え、鹿児島―沖縄の二十一世 紀に向けた友好関係をつくろうとする動きが活発だ。両県のロータリークラブ (RC)や茶道裏千家関係者が、今年から来年にかけて合同茶会や友好盟約など交 流行事を計画。歴史的にも地理的にも両県のはざまで揺れる奄美地域をも巻き込 んで走り始めた。」とある。

 島津家のご当主自らが「仕掛け」る背景には、県の「沖縄との県際交流」とい う施政があるのだろうか。県の持ち駒、奄美を「巻き込んで」の「交流行事」や 唐突な「友好盟約」の出現も腑に落ちない。なぜならこの三百九十年間、島津家 と県は、奄美・沖縄に対する「過去の負の歴史」に公的には何も「清算」してい ないからだ。
 南島での植民地経営の史実を、「ご破算で願いましては…」とイー ジーに「乗り越え」るおつもりならいかがなものか。

 せっかくのラブコールが拙速に終らぬためには、お膝元での議を真剣につくす べきだろう。
 たとえば、本紙元社長が「薩藩の三つの抜け穴」と題して早くから 指摘してきた、県民のヒモ的習性や歴史の総括などはクリアーできたろうか。今後の動きに注目したい。  

 「薩摩の貧乏をささえてきたものは、見方によっては、女の労働と、奄美列島 の(黒糖)搾取と、琉球を通じての密貿易であった。―この三つの抜け穴で、な んとかやりくりして、そういう犠牲の上にくらしていたときの習慣、そういうも のの上に、あぐらをかいて、ショウチュウを飲んでおれたときの習性、そういう ものが、われわれを、いまもなおとらえているのではないか」(川越政則著『南日本風土記』一九六二年刊―「北をとざし南方に門をあけた薩摩―犠牲の上にあ ぐらをかく男」より)

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