店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

南海日日新聞:書評(H3.11.21)

『現代詩手帖(10月号)特集南島を読む』

「南島論の新たな展開」鼎談・論考・書評など多彩

「胎児よ胎児よなぜ躍る、母親の心がわかっておそろしいのか」
奇人夢野久作のライフワーク「ドグラマグラ」は暗示的な胎内世界の巻頭歌から出発している。精神病院で眠る少年の一刻の夢の中には胎内回帰から集団の無意識を遡行(そこう)させ、生命の発生を辿っていく壮大な仕掛けが組みこまれている。

「本書は『南島の深い闇』に対する畏敬から出発する」―谷川健一は、刊行された大著『南島文学発生論―呪謡の世界』(思潮社)の序をこう結んでいる。

南島の呪謡の始源をくぐりぬけることによってそこに共有していたであろうヤポネシアの言霊とシャーマニズム世界の古代の文学領域の淵源(えんげん)にせまる四百八十二項の大論文。一九七〇年のころ、私を最も戦慄(せんりつ)させた作家夢野久作を戦後蘇生させ、全編を編み、我々に提示してくれたのは谷川健一であった。

同じころ島尾敏雄のヤポネシア論を読書新聞の正月号で江湖にアピールし、最近その総括を始めているのも彼である。折口信夫や柳田国男の日本民俗学を発展的に継承しながら独自の谷川民俗学の地平を斬(き)り展(ひら)いてきた彼の存在は重い。各地の人々の日常生活の視点から学問の本質をよみとき、常に時代に先行して状況の方向性を指し示してくれる存在―。

「現代詩手帖」十月号は、谷川健一の『南島文学発生論』刊行を記念して「特集南島―異化とアルケオロジー」を組んだ。総勢三十名の陣容で鼎談(ていだん)、論考、エッセイ、作品、書評など。作品(詩)では藤井令一「成巫舞い」、書評では山下欣一「南島への問いの旅」、論考では関根賢司「琉球文学序説」、古橋信孝「神謡・神話の発生」、末次智「南島の祭式と現代」などが谷川の『南島文学発生論―』刊行をじかに反映させている印象をもった。

もちろん、その他の作品も琉球弧の特異な文化・歴史的現在を確認するのに好個の内容が多く、全体として詩誌にふさわしい自由な編集方針がうかがえる。それにしても「特集南島」の骨子は巻頭の谷川健一、藤井貞和、川村湊による鼎談「南島文学の発生と現在」に象徴されるだろう。

谷川は鼎談の結びで「私はこの本(南島文学発生論)で沖縄の人たち引いては日本人の感情なり意識なりをできるだけ遡行してみたいという欲求がありまして、(略)遡行しようとしても日本の場合は(記紀万葉以前は)手掛かりがない。しかし沖縄にはその手掛かりがある。(略)『沖縄と日本は母を同じくして父を異にする兄弟である』と。母は民俗であり、父は歴史です。(略)しかし今回は母である民俗の方を主にして辿ってきましたから、その意味では両者の違和感というよりも、かつて共有していた闇、原始の深さを追求できたのが、私にとっては幸せだったと思うんです。(略)私にとっての南島論はこの『南島文学発生論』であると言えると思うんですね」と語っている。

谷川健一は南島の深い闇に畏敬する旅の中から既成の南島歌謡論者たち、外間守善や小野重朗らの首里王府的(ノロ的)視座に「違和感」と「不満」を抱き、奄美や宮古などのユタ、カンカカリヤの文化の中からシマジマの固有の時間軸をあぶり出すことによって通底していたであろうヤポネシアの呪謡の世界(古代文学の発生)を導き出してくれた。

この大著と特集号がまとまるのには谷川健一という稀有(けう)な資質を備えた学者で歌人の南島への問いの旅が第一義にはあるが、彼の旅の背景には奄美で生きているユタ、クチ、タハヴェ、ユングトゥ、説話、島唄などの実例なしには考えられない。

なかんずく奄美の習俗の意義の普遍性を地道に採録し、資料として後生に遺すことを意図してきた有名無名の先達の存在は特筆すべきだ。本書には山下欣一、小川学夫の論考が支持されているほか、名越左源太、岩倉市郎、三井禧貞、恵原義盛、田畑英勝、長田須磨、昇曙夢、金久正、前田長英、松山光演、柏常秋、山田実、栄喜久元などの文献が随所に引用されていて奄美学の精華というか、方向性をも示唆してくれている。島唄やアマミキヨの由来、ルーツについても鋭く論究していて興味がつきない。

谷川健一が放ったポレミックな「南島論」に対して、深い闇を喪(うしな)いつつある「南島人」の私(たち)はどのような球を送り返すことができるのであろうか。

(森本眞一郎)

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