店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

朝日新聞鹿児島版:みなみ歳時記(H9.1.9)

宇宙のヘソ

 みんな旅の途中の道連れ

 「世界についてほとんど何一つ理解しないまま、私たちは日常生活をいとなんでいる」。『ホーキング、宇宙を語る』の序にカール・セーガンが書いていた。

 実際、ぼくも、奄美は辺境だという理解から祖国日本のラッキョウの芯(しん)を求めて、鹿児島、関西、関東などのヤマトのミヤコを転々としてきた。でもそこでの日常生活は心に中(あた)るようなインパクトはなくて、ぼくの異邦人意識をさらにかきたてるだけの金太郎飴(あめ)的異郷にすぎなかった。

 フツーの日本国籍人ではないことに気付いたぼくは、北海道、沖縄、台湾、朝鮮半島などの日本に植民地化されてきた(いる)島々へとすこしずつ渡り始めた。そこは政治的には日本に疎外されてきた(いる)が、人も風土も親和力が豊かで、一六〇九年以来鹿児島の植民地であり続けている奄美人のぼくの遺伝子も大きく共鳴した。

 日本(人)の周縁を中心に歩いていたノリで、東南アジアからネパールあたりの「東洋区」をモンスーンの風に吹かれて漂流した。フーテン、今風にフリーターのぼくは、多様な民族と価値観が共存しているアジアの混とんとしたかたすみで、フツーに暮らしていこうと考えていた。

 ゆあーんゆよーんとまあそれからいろいろあって、今ではアジアの奄美のかたすみで、にぎやかな八人家族と売れない古本屋を抱えてフツーに暮らしている。世界についての理解のしかたも変わった。奄美も世界の中心であり、鹿児島や日本や欧米なども辺境だという宇宙物理学からの相対的視点だ。

 たとえば『宇宙の風に聴く』(佐藤晴夫著)という本には、「すべての場所が宇宙の中心であり、同時に宇宙の端でもあるのです」とある。ぼくたちは宇宙上のすべてのものと関係があるように宿命づけられていて、今落ちてくる雨のなかにはおよそ八十年前にどこかで泣いた人の涙も含まれているとも。

 さて、その雨が多い奄美からちょっと北の小宝島と悪石島を隔てるトカラ構造海峡。ここには生物地理学上の「渡瀬線」があって、地球レベルでの重要な境界線になっている。おなじ境界でも鹿児島圏からだと「旧北区」の南限、奄美圏からだと動物の「東洋区」、植物の「東南アジア区系」の北限だ。奄美で生きる生物の仲間として、家族で修学旅行してみたい。

 島尾敏雄さんは奄美の風土と暮らしから、「琉球弧」と「ヤポネシア」という行政圏を超えた広がりのある思想をプレゼントしてくれた。いただいた芽は大切に育ててリレーしていきたい。

 さてさて、この世はみんな旅の道連れさんだ。地球(子宮)は一つ、いのちはタカラ、違いも類似もこの世の花よ。それぞれ中心、同時に端っこ、そんな宇宙のバランス感で生きていこうぜ。八十年後、すべてのいのちの血と汗と涙は、シチョーソンやケンやクニなどおかまいなしに地球のどこかにまた雨となって帰ってくるんだ。

 その時、降りがいのある地球のいのちは残っているのだろうか。廃墟の地球の黒い雨にはなりたくない。

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