店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

島立まぶい図書館からの眺め:88page

『新編・琉球弧の視点から』

朝日新聞社 著者・島尾 敏雄 
1992年7月15日 670円(税抜き)

ヤポネシアという新しい未来へ向けたグローバルな問いかけの書

「あなたがたは、奄美や沖縄の歴史と文化の独自性とか、島々の底に流れている普遍的なものを、きちんと自分のものにされながら、それぞれの問題にとりくんでいかれるのがいいのではと私は思いますね」

1970年の盛夏。島尾敏雄に会うために沖縄からパスポートを使ってやってきた宮古出身のTと、当時、奄美に帰ってきて、右往左往していた私は、鹿児島県立図書館奄美分館長の著者を臆面もなくお訪ねし、向こう見ずな質問を浴びせかけた時のことです。

大学。安保。沖縄。ベトナム。戦争。国家。革命。公害。近代。宗教。天皇……。当時53歳の著者は、長女のマヤと同年齢(二十歳)の私たちのぶしつけな質問ぜめにもていねいに対応してくれました。冒頭のことばは、著者が別れぎわに贈ってくれた私たちへのはなむけです。

その瞬間、私の頭蓋骨には「島の刺」が深々と刺しこまれ、今でも抜けずに私の航路の指針になっています。

本書は、『島尾敏雄全集』(全17巻・昌文社)のなかから、南島(奄美・沖縄)に関するエッセイを新たに編んだものです。新たにというのは、生前、1969年に講談社から『琉球弧の視点から』を刊行しているからです。二部構成の一部は「ヤポネシアと琉球弧」の七編、二部は「奄美と沖縄と1957〜78年」の二十五編からなっています。

著者が早くから提唱してきた「琉球弧」という呼び方は、奄美・沖縄・宮古・八重山の諸島を架橋する概念ですが、今では広く日常的に使われています。

「琉球弧」からさらに目の位置を高くすることで、著者によって発見され、提唱されたのが「ヤポネシア」という概念です。たとえば、黒潮という海上のみちを遡行していった時に現れてくる、台湾、フィリピン、インドネシア、ミクロネシアなどの太平洋諸島。人種的にはマレー人種ですが、著者は、「日本」とこれらの島々との精神的、文化的連続性や、「日本」の時間軸を縄文にまで遡行していった時の東北や南島との同質性などを、トータルに深く内省する旅を重ねていくうちに、「日本」という「国家概念」を跨ぐための装置として、多様で可能な広がりを持つ「ヤポネシア論」を展開していったと思われます。

本書に収録されている奄美・沖縄からの数々の信号は、「琉球弧」と「日本国」との関係を「ヤポネシア」という新しい未来に向けて私たちが問い続けるための貴重で有効な文化遺産ともいえます。

島尾敏雄は、加計呂麻島に特攻隊長として、つまり、この世の見納めの場所として宿命的に駐屯します。その後の著者は、終生を戦争体験、妻ミホと、奄美・沖縄のことを芯にして書きついできました。

本書は島尾敏雄という日本を代表する内省の文学者が、同時に琉球弧の視点を通してグローバルで先見的な思想家であったことも示しているのです。

(森本眞一郎)

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