書きょうたんじゃが あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。


『けーし風32号』2001・9
シマだより(奄美)
「髪ん風」



本誌は熱帯性低気圧の「けーし風」。

やまと倭では、神の威力の「カミ風」だ。

第二次世界大戦中、やまと大日本帝国の特攻機は「神風」と名づけられた。以来、カミカゼとは無謀なことの代名詞となった。

ところが敗戦から半世紀を経ても、小泉旋風というこりないカミカゼがやまと日本列島では吹いている。特攻の精神を座右の銘とする小泉の父親は、鹿児島県の知覧特攻基地の近くで生育した元防衛庁長官。祖父は満州事変の時の挺身大臣もとい逓信大臣で、戦後は公職追放にあっている。また、小泉の義兄(姉の配偶者)である奄美二世の豊島いたる格は、資源エネルギ―庁長官時代に原発や石油備蓄基地を大きく推進した。

さて、武のクニ鹿児島県の直轄植民地となって四百年に近い奄美諸島だが、ここにもカミのカゼが吹きだしたという話を。

「ぬがよ〜なまぐる〜」と言われそうな会が八月二十六日に発足した。「名瀬市内中学生の頭髪の自由化を考える会」だ。沖縄県では頭髪の自由化など今時、常識だろうが、こちら奄美では頭髪の自由校はわずかに一校しかないのである。

鹿児島県内には、障害児学校以外に二百七十四の中学校がある。そのうち百七十一校(六十二l)が頭髪を自由化している。人権侵害の丸刈りを強制している残り百三校のうち、奄美グループは五十八校でなんと半数以上だ。ちなみに奄美の人口(十三万六千八百七十二人)は鹿児島県のわずか七lにすぎない。なんか意図的だ。      

奄美の各中学校では、これまでに各生徒会が当然の権利である頭髪の自由化を要求してきた。しかし、「時期尚早」「高校生との区別がつきにくい」「スポーツにいい」「経済的」などという根拠不明の理由から個別にツブされてきた経緯がある。各学校の父兄が連携しての行動は初めてだ。

本来、校則変更の決裁権は各学校長にあるのだが、教育委員会や回りからの圧力があるようだ。発足会には公開討論を求めて、各学校長や教育委員会にも案内を出したのだが、申し合わせたように全員が欠席した。聞く耳すらもたないのだ。

奄美をのぞいた県内の丸刈り校(四十四校)を地図に落としてみた。トカラ列島、屋久島、種子ヶ島など薩南の島々が九校。大隅半島南部の肝属郡と曽於郡が二十九校。薩摩半島南部の揖宿郡と指宿市が六校だ。そのほかの北の地域はなぜだかオール自由校!だ。鹿児島県内の丸刈り族は、黒潮海道の島々と、黒潮が最初に日本列島を洗う特殊地域での特別措置か?

たかが丸刈り、されど丸刈りである。

 鹿児島県の丸刈り族の資料を前にして、ぼくは鹿児島県民、ひいては日本列島民の歴史や文化の南北問題を感じている。

最近、大隅・薩摩半島やトカラの島々を歩きながら思うのだが、大和朝廷の武力侵略に敗北したクマソ・ハヤトなどのネイティブ先住民族たちの行く末を解く鍵は「南島」にあるのではないか。民俗文化の共通性もそうだが、鹿児島県南部の黒潮民族の子供たちが、現在でも囚人同様に丸坊主にされている地域差別の現実がある。

思えば、沖縄のためにではなく本土防衛のために玉砕したカミカゼたちの前線基地も、大隅・薩摩半島の南部地域だった。   

「オヤジ!髪ん風ば吹かそ!」

中一の坊主が人権感覚にめざめだした。

  

(森本眞一郎)

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