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南日本新聞 「ホンとの出会い」02年10月13日付 

著者の意図を乗りこえる

ホンが読める古本屋になった。一日一冊は読む。年間で三百六十五冊。開業して十五年目だから現在、五千四百七十五冊目だ!と言いたいが、実際はその一割ほどか。背表紙と奥付だけを眺めている。

 毎日、店に寄りつく古本を買い取るからホンとの出会いは多い。波に洗われ肉をそがれたホンたちを値踏みする。彼らは息を呑む。ぼくの胸先で彼らの一生が決まり、売れ筋でないホンは、店外の均一ボンで風雨に晒され、一年後には荼毘にふされるからだ。

先日、他店の均一ボンを(のぞ)いていたら、村井紀の『南島イデオロギーの発生―柳田国男と植民地主義』(一九九二年版)がぼくを招いていた。探していたホンだ!

ぼくは、奄美で生まれ育った。鹿児島から日本(やまと)列島やアジアの海を泳いでいたら、「地球の中の奄美」にこだわるようになった。七十年代にかけては、奄美にいた島尾敏雄の「ヤポネシアと琉球弧」という潮流にはまっていた。

あたりまえだが、ホンは人が書く。古本屋のカウンターに座っていると、日本の風に吹かれて「南島本」の関係者たちが南下してくる。ホンをとおして彼らとつきあっていると、彼らはいったいなんのため、だれのために、「南島」を研究し表現するのだろうか、という疑念がわいてくる。

そこで、司馬遼太郎と共に「日本芸術院会員」にまでなった島尾敏雄のホンを、南島人の視点から読みなおす必要性を感じてきた。 

島尾は東北の出自だから、自分のまなざしは日本の両端からのはじっこの思想という。しかし、島尾の「琉球弧(南西諸島)」にはトカラへの視点が欠落していて、「旧琉球王国」の領域に囚われている。さらに「ヤポネシア」には、北の蝦夷・アイヌへの視点が薄く、その版図は、「旧日本帝国」の千島列島から南西諸島までである。

結局、島尾の「ヤポネシアと琉球弧」は、旧日本帝国の領土を戦後の文学で囲いこむ補完的な思想だと思う。と言い始めたら、友人から「お前と似たようなことを書いているのが村井紀だ」と教えられた。奇しくも村井は、島尾や吉本隆明らの『南島論』は、柳田の南島を聖地化する「新国学」(植民地学)と軌を一にしている、と論考していた。遠く離れた知己をえた気分になった。  

ぼくたちはホンによって感化されやすい。しかし、ホンを書くヒトには意図がある。そこを見ぬいて乗りこえていくことを、ホンたちは読者にサインしている。(了)

 

 「ホンとの出会い」

―著者の意図を乗りこえるー

南日本新聞十月十三日付

森本眞一郎(本処あまみ庵主)

 


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