☆ 12年前の送別会元ちとせと神谷さん

137億60歳の記憶と記録
鎮魂譜101
11/12(き=木) 旧9/26
(火の弟 酉)こ(子)読み


※ 昨夕、珍しいグループが来店した。

どうも見覚えのあるお方から、名刺をいただいた。

福岡伸一


生物と無生物の間』の著者だ。
ベストセラー(65万部)の売れっ子作家(分子生物学者)。
この冬、読んでいたので、サインをしてもらった。
話が弾んだ。
ワンは、シマ(の世)を生き物としてとらえている。
そのために、ミクロ(細胞や分子世界)とマクロ(地球や宇宙)からシマをとらえたい。
現在も、その過程にある。
少しは見えてきたが、キメの一行がでてこない。

もうお一人。

森川欣信


レコード制作会社「オーガスタ」(年商25億円/2006年)の社長さんだ。
忌野清志郎との交流が深かった元ミュージシャンだけにかっこいい(生き方も)。
所属する元ちとせのレコーディングで来島したらしい。

あまみ庵にはお二人とも数回いらしているとのこと。
東京ではあまみ庵のようなアナログな古本屋が少なくなったので、来るのを楽しみにしているとのオコトバ。
「ありがたいのですが、ここもほとんどホスピス状態で・・・」と正直に答えた。
「そうなんだ・・・売り上げは?家賃は?・・・・は?」と真剣にノってくれた。

※これから、「アシビ」で元ちとせの臨時ライブがあるという。
突然決めたのだが、「あまみFMディー!ウエィブ」で案内したら、一日でソールドアウトになったらしい。
フモトさんにお願いしたらなんとかなるかも」とのお誘い。
閉店後、ためしにアシビへ。
麓クンが入り口にいてフリーパス!(^ム^)

ステージでは、元ちとせ&サーガリの新元クンで盛り上がっていた。
やがて、山崎まさよし&岡本定義&元ちとせの豪華ステージが。
マタニティウエアのちとせの風がアシビに吹きまくった。
シマンチュたちの立ち見の熱気が共鳴した。

※ 9時半頃に終わり、打ち上げにまで誘われた。

(^ム^)

1997年3月、『奄美もっと知りたい』の著者、神谷祐司さん(朝日新聞記者)の送別会のことを思い出した。
水間クンやヒロゾーたちあまみ庵のスタッフが企画していた。
送別会に呼んで欲しいウタシャを神谷さんにたずねたら、「元ちとせちゃん!」だった。
当時の元ちとせは、卒業を控えた高校3年生。

1992年、同じ瀬戸内町出身の中野律紀センパイが日本民謡大賞(奄美で3人目)を獲得して、音楽界で活躍していた。
1994年、元ちとせは15歳で奄美民謡大賞新人賞を受賞。
1996年、17歳で奄美民謡大賞を受賞した。
リッキのお次はちとせの番だ、シマのみんなが期待していた。
でも、全国大会の九州予選で落選してしまい、彼女は失意のどん底にあった。
音楽の世界をあきらめ、その春、美容師修行のため名古屋に行くところだった。
じゃぁ、合同の送別会を!ということに。
ちとせは、サンシンとギターを携えて小さな飲み屋にやってきた。
シマウタのあと、シンディーローパやキャロルキングを弾き語りして、参加者たちは(ワンも)仰天した。
神谷さんご夫婦(と参加者)には想いでぶかい送別会となった。
もう、12年前のハナシだ。

 それから数年後、ちとせはオーガスタの森川社長の名刺を思い出した。
電話して、音楽界にデビューする。
デビューアルバムには、あの時歌ったシンディーローパやキャロルキングなどのカバーが収められていた。

※ そんなことを想い出しながら、ちとせが沖縄のハンサムなご主人と語らっているのを眺めていた。
二人目のシマの宝が胎内で育っている。
ご主人は今、ちとせの生地、瀬戸内町の嘉徳でミセづくりをしているとか。
こうやって島々を結ぶ新しい「しまの世」が生まれ、育っていく。
嬉しい光景を見届けてアシビを出た。。

2009年11月11日のイイ日に、想いもかけぬすばらしい「しまの夜」をいただいた。
いやぁ、おぼこりありょうたぁ!関係者のみなさんがた。