コラム酒池本林 怪しい店主の近況報告です。


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コラム酒池本林 怪しい店主の近況報告ですが、さぼってます。

「1996年晩夏のこと」

 「酒池本林・DNAそのV」010817記

8月15日の敗戦記念日をめぐり、さまざまな報道があった。
小泉総理の靖国参拝、石原都知事政権下の養護学校への歴史教科書導入・・・
いずれも姑息なやりかたで、内外の批判の声を踏みにじるものだった。
2001年の日本の情況は、戦前に似てきたとよく表現される。「新しい戦前」ともいわれる。
政治改革や構造改革よりも必要なカイカクは,、日本人の精神構造の改革だろう。

1945年の日本国の敗戦により、日本は平和と繁栄の道を歩むことができた。
「あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊」のおかげという。
小泉総理の談話だが、この心情にはほとんどの日本人が同意するのだろう、か。
しかし、小笠原諸島と北緯30度線以南のトカラ・奄美・沖縄諸島で戦後を生きた者たちは、そうは思わない、のではないか。
日米両国は第二次世界大戦の戦後処理として、これらの島々をアメリカ領土にしたからだ。
日本の繁栄の裏には、日本人にはあまり知られていない島々の苦難の歴史が肥やしになっているのである。

私が奄美に生まれた戦後5年目の1950年は、朝鮮戦争が勃発した年だ。
北緯38度線を中心に休戦協定が締結されたのは1953年の7月27日。
それから5ヶ月後に、戦後処理の一つとして奄美群島が「祖国日本」に「復帰」した。
トカラは前年の1952年だった。
朝鮮戦争後の冷戦をにらんで、北方領土返還のかけひきに日本にプレゼントされたのである。
小笠原(1968年)や沖縄(1972年)の「祖国復帰」も同様に、ベトナム戦争(1973年終結)の戦後処理のための日米の国策でしかなかった。

これらに共通するのは、「戦後処理のカードとしての島々」ということだ。
「北方領土」の島々も、アイヌの人々は蚊帳の外でなされているのと同質の問題だ

さらに400年前の1609年、大和の島津軍団は琉球国を侵略した戦後処理策に、奄美諸島を自分の直轄領土として処分し、現在に至っている。

なぜこのような歴史を追求するのかといえば、世界のすべては歴史的存在だからだ。
赤血球やDNAがつないできたイノチのモトは、それぞれが歩んできた歴史をすべて記録している。
だから、記録によって記憶されているそれぞれの衣食住のいとなみがあるのだ。
自分に組み込まれた宇宙の記録を、意識的に、細密に、腑分けして、確認すること。
個々の歴史の創造はそこから始まる、と思うのだが。。

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