こんな本入りました!
[1998.12.26]
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海と稲と巫女は語る

海と稲と巫女は語る

著:甲 東哲(きのえ とうてつ)
私家版・ノア企画 1995年2月11日 初版第1刷発行
A5・P251・\2,136

 奄美群島は奄美大島(加計呂間島と請島・与路島も含む)と喜界島・徳之島・沖永良部島そして与論島からなりたっています。さらに奄美大島では山が多く陸路による集落間の行き来というのはつい最近まで大変でしたから、必然的に船をつかって各集落間を行き来するほうが多かったのです。文字通り島のなかに”シマ”があったわけです。
 現在は各島間と鹿児島・沖縄・大阪・東京間は定期船は就航していますし、奄美大島内も道路が整備されて、集落間を船で行き来することもなくなりました。
 で、この各島間と奄美群島外との船舶の歴史についてまとめてある本というのが不思議なことにあまりありませんでしたが、この本に船舶の歴史を知るヒントがありました。

 この本は著者のいくつかの論考をまとめた本で、著者の没後に遺族の方が出版されました。主な項目は「海は語る」「もう一つの日本」「南部大島を行く」「沖永良部という島」です。
 「海は語る」の「奄美航路の船の歴史」として明治初期から昭和20年までの奄美航路を当時の新聞などから詳しく調べ上げています。その内容からは薩摩藩の支配からようやく開放されたはずの奄美がその後も日本に翻弄される姿を知ることができます。
 同じく「海は語る」の「かつて奄美の海で」は短い文章ですが、薩摩に支配されるまえの奄美がどのような航海技術をもった島であったか想いをはせています。

 「海は語る」以外でも「もう一つの日本」には学生2名が平家伝説について語る様子を小説風に書いた「平家現像」、ケンムンについての「ケンムン考」等、「南部大島を行く」では昭和35年ごろの瀬戸内町(旧、実久村・古仁屋町・鎮西村)の旅行記で、当時の交通事情や生活・自然を垣間見ることができます。

 この本はお客様から奄美に関する船舶の歴史についての問い合わせがあり、調べていたところ内容をはじめて知った本で、品切れしていたため取り寄せました。
 あまみ庵に勤めるようになって約3年、奄美に関する本をある程度は読んで、それなりに知識が増えたつもりだったのですが、まだまだだと思い知らされました。

(mizuma)


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