こんな本入りました!

「村 mura 奄美・ネリヤカナヤの人々」

(写真集)

  著者    浜田 太
  発行所   南日本新聞社
  制作・発売  南日本新聞開発センター

  発行日2001年10月2日・2,857円+税
なお、このページの平瀬マンカイについてのぼくの印象について、浜田氏からメールをもらいました。
リンクをはりましたのでご覧下さい。ご意見のおありの方は、当方へメール下さい。随時掲載したいと思います。
E-Mail: amamian@po.synapse.ne.jp
 

 目次 
 ・写真
 ・「村」の舞台・鹿児島県龍郷町秋名
 ・森羅万象の村
 ・個性的な奄美の「シマ」社会
  ・あとがき

浜田太写真集 【村 奄美・ネリヤカナヤの人々】の出版祝賀会が昨夜(12月26日)盛大に催された。舞台では国指定無形文化財の「ヒラセマンカイ」が営々とくりひろげられたが、お祝いとはいえ、聖なる神事をホテルの舞台で見ていて、やりきれなかったのは僕だけだろうか?

本書は、龍郷町の秋名集落の日常をを20年にわたって撮りつづけた珍しい写真集だ。
「ここ三・四年で(風景が)姿を消しつつある。残念でならない」(浜田太)
「大変貴重な記録」(弓削政巳)とも。
確かに奄美の稲作を中心とする風景と儀礼はもうここ(秋名)にしか残っていない。
しかし、どうしてそうなったのだろうか?

鹿児島県は県の減反割り当てをなによりも奄美のタブクロをターゲットにして奨励してきた。それを請け負った各地元役場の職員たち。そしてそれを受容してきた奄美の村人たちの思いと歴史を逆に感じさせらる写真集である。「失われていくことへの危機感」とか、秋名集落の年中行事に、「太古」・「古代」・「源郷」・「原日本人」・「日本人の記憶」・「遠い先祖の姿」を印象させたり、「「アジア大陸」と「日本列島(ヤポネシア)」を連結させる奄美に、魂の聖地がある」(立松和平)と語られるが、聖なるアマミの現実は本当にそうなんだろうか?と思わさせられた。

奄美の稲作儀礼はそう古くはない。米以前の古代には、トカラやクマソなどと同様に、焼畑(アラジバテ)による原始農業(里芋や粟・麦など)が長く主食だったからだ。日本列島自体が天皇制による国家と律令制の成立によって畑作から水田にかわっていった。しかし、ここ「南島」での米の歴史はさらに新しい。そして今度は、水田から畑作への転換だ。

僕には秋名の風景は、囲われた楽園(保護区)にみえるが、それでいいのだろうか?
「日本民俗学」は、「民族の主たるルーツを北(アイヌや半島や中国)をきりすて、南(島)に向かった。
柳田國雄は「海上の道」によって、南島の聖地化をはかった。
聖地化することによって、そこをとりこみ、最後にはそこの文化を解体する。(アイヌや世界の先住民族のように)
沖縄の久高島の「イザイホー」などがそのいい例である。

この写真集は、「南島」の在りし日の折節の風景や民俗がテーマだ。
名瀬育ちの僕にはなんとも牧歌的なくらしぶりがそこにはあって、うらやましいかぎりだ。
(二十年前につきあっていた彼女は秋名の出身だった・・・)
現実の風景を社会(政治)との関係で読むクセのある僕としては、今後も浜田氏には秋名集落の行く末を追及してもらいたいと思っている。そして、十年後には、もう一冊のさらに意欲的な姉妹本を産み出して欲しい。

勝手なことを言わしてもらうと、その時には、秋名集落のもつ多様な日常の風景もとりこみながら、コスモスとしての多様な集落像、集落の歴史や、30年間の移り変わりなども見せるべきだ。
たとえば、秋名集落にめぐらされた二つのトンネル、幾里の奉安殿跡や金久の護岸堤、魚介類の収穫量の変遷などをとおして、近代化による利便さと裏腹に進行中の過疎化(現在の秋名小は35人で複式学級)の現実などもいれてほしい。将来は廃校になる可能性すらあるのだから・・・・・・。それらがないと「364日の日常」は完結しないのではないか。

ぼくはこの本のネガの部分、国や県に翻弄されてきた(いる)奄美の現実のこと(くらし)ばかりを考えながら本書をよんだ。
減反政策はシマ島の食糧の自給体制をなしくずしにしてきたからだ。
(たとえば、種子島などは日本一の早だし米によって、今は増反すらしているという。)

最後に、奄美には「村mura」という表現はないのだから、本のタイトルには「村sima」といれてほしかった。

僕ひとりでもこのようにもろもろのことを感じさせてくれる。
ほかのひとはどのようによむのだろうか? 


                                                         (森本記)


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