こんな本入りました!

                                     (2001/01/11記)    SWITCH DECENNBER 2000 Vol.18 .10
                 2000年11月20日発行 700円+税

特集●A MAP WAS DESCRIBED BY AJICO
                                     


 
1・はて、この「SWITCH」なる雑誌は?
2・さて、この表紙を飾っている非日本人的な女性は?
3・そして、「AJIKO」って??

オン年50歳、(初)中年のぼくにはひとつもわからなかった。
読んでみて、ハァ、ソォ・・・このエキゾチックな女性は、UA(ウーアー)というシンガーで、ウタダヒカルが出るまでは
そのミチでは第一人者。
今はアサイケンイチなるギタリストとアジコというバンドを組んで活動している。
このタビ、二人でウーアーの母親のふるさとのカケロマ島に初めて訪れた。
・・・そんなことが、この「SWITCH」なるハイソ風なアート誌にとっても、日本の
ミュージックシーンにとっても、表紙と巻頭の25ページもの特集を組むに値する事件なんだ。
・・・よくわからん。

・・・でも、一番驚いたのは、ウーアーが奄美のカケロマ島を意識するようになったきっかけが、
朝崎郁恵さんの名アルバム「海美」(あまみ・試聴可)をニューヨークの友人ちで聴いて、
涙がとまらなくなってからということ。朝崎さんもカケロマジマの出身。

実は、1997年にこのミニアルバムがインディーズ盤で出たころ、
ぼくは感動して大量に仕入れてトキがくるのを待っていたのだ。
今でも、ナゼだか、奄美ではあまみ庵にしか置いていない。
そのころ、友部まさとというミュージシャンから頼まれて、あまみ庵
からニューヨークの彼の友人ちへ送ったことがある。
友部さんは半分はニューヨーク暮らしという。
ウーアーが友人チで聴いたアルバムは、ぼくが郵送したヤツの可能性がおおいにあり、なのだ。
最近でこそ、タワーレコードなどが「海美コーナー」を設けるようになったらしいが、4年前はクチコミだけだったから。

友部まさとさんは、4年前の奄美・沖縄ツアーのとき、あまみ庵に立ち寄った。
「奄美でのオススメは?」・「これが一番!」
この一言会話が、やがて大きなうねりになろうとは・・・・・・。

その後の彼は、全国どこでも、彼のステージが始まる前には、必ず「海美」をかけていたそうだ。
それで、「友部さんから聞いたのですが・・・」という電話やファックスでの問合せが全国から・・・。

彼は、ラジオ出演のときも宣伝しまくってくれた。
ラジオ局からもあまみ庵に問合せがはいるようになり、
今では、「ラジオで聴いて忘れられなくて・・・」というメールの時代に。
奄美でも最近はご老人のご婦人方も二階に訪ねてくるようになった。

忙しくなった朝崎さんだが、もうすぐ奄美にいらっしゃる。
これらの話で花を咲かせたい。

(Morisin)


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