店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

南日本新聞:南点(H9.5.23)

『"沖縄独立"の激論会に参加して』

「自立への覚悟を促す」「奄美の参加者経済政策など問題提起」

沖縄県には、最悪日本国には最善の米軍用地暫定使用をはさんだ、五月十四、十五日の二日間、那覇市民会館で開かれた「日本復帰・日本再併合二十五周年 沖縄独立の可能性をめぐる激論会」に奄美から参加した。

のべ約千人が集まった激論会では、「日本再併合」という復帰の認識をめぐる沖縄人の熱い議論に接した。この日は復帰から四半世紀、沖縄を日米両国の基地植民地としか位置づけない「日本」への「復帰」をあらためて問い直し、自立・独立という沖縄本来の道を歩みだした日だ。

かたや、日本の鹿児島県に復帰して約半世紀、薩摩の直轄地となって約四世紀になる奄美。奄美型の自立経済社会を展望しての、復帰の総括などはこれからだ。

一日目は、「経済から見た沖縄独立」。期待したパネリストたちは、意外にも経済的独立には慎重で懐疑的だった。しかし、司会者の「独立は自立か孤立か」の問いには参加者の約八割が自立と意思表示をしていたし、沖縄の実態を問い直し、沖縄の主権、人権を回復するためには独立すべきとの発言も多く、何かちぐはぐな感じがつきまとった。

「あの地上戦ですら餓死者は出なかった。要は理念の問題だ。私は日本国憲法の天皇は国民の象徴という第一条からして受け入れることができない。早々に琉球共和国憲法制定評議会をつくってはどうか。独立の時期は三世代から四世代くらい先を想定したらいい」。会の呼びかけ人の新川明さんの結びが印象に残った。

二日目の「沖縄を取り巻く地域からの発進」では、台湾・韓国・アイヌ・奄美・日本からの刺激的な発言が多かった。「日本がアメリカから独立・自立するのが先。日本の軽佻(けいちょう)浮薄なマスコミは健忘症だ。すぐに忘れるだろう」(國弘正雄)「一六〇九年の薩摩の琉球侵略のとき奄美では戦死者がたくさん出た。沖縄人はすぐに降参した。もっと郷土にプライドをもつべき」(徳田虎雄)「沖縄の人も人類館事件などでアイヌ・朝鮮・台湾人を差別した。差別を超えて世界の被抑圧民族・少数民族とつながっていく覚悟が必要」(チカップ美恵子)「日本は明治以来なんら変わらない。二十世紀の過去を清算せずに二十一世紀を迎えようとしている。沖縄が日米の支配者の論理からアジア側にシフトしなければアジアの平和はない」(除勝)。

奄美からの参加者は、共有する経済圏交流のこと、「沖縄振興開発特別措置法」の問題が議論されなかったこと、沖縄とアジアの賃金格差に乗っかるような経済政策は日本と同じアジア侵略であること、周辺離島を位置づける視点が欠落していることなどを奄美独自の切り口で提起していた。

ぼくはといえば、トカラから八重山までのシマ島の相互の関係に想(おも)いをさかのぼらせていた。琉球王国などという武力による統一王権が成立するはるか以前、シマ島が多様に自立しながら「琉球弧文化圏」を形成していた時代のことを。

お互いのキーワードもいくつか再確認できた。それは「皇民対棄民」「祖国復帰」「集団自決」「差別の階段化」「琉球処分」「琉球侵略」「琉球弧連合」そして「ヤポネシア連合」だ。ここまでさかのぼってくれば、ケンとかクニを超えて地球との共生が第一義になる。国盗り物語もない。存在するのは地球(子宮)に浮かぶ卵子のようなシマ島だけだ。

このような激論会をいつか奄美でも企画してみたい。百年先の子々孫々の自立へ向けて。


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