書きょうたんじゃが あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

キョラ四号(H11.1.17)

バックトゥザフューチャー(序論)

 なぜだろう、神戸が遠くて近いのは。

「神戸奄美研究会」を取材した朝日新聞(一九九八年九月二十二日付・夕刊・大阪版)が、本誌四号特集のことを予告して、「千余キロ離れた(奄美の)人たちの間で、意外な展開が待っている」と紹介したファックスが、原稿の督促状のようにして届いた。

シマッチュの中でも無印・常識人間を自認するぼくには、そんな意表をつくような話しはとても無理である、だから書けない、パスだ、と考えていた。
しかし、毎年、読むのを楽しみにしているこの『キョラ』が、来年の五号をもって一応の区切りをつけるというから、静観だけしているわけにもいかなくなった。できれば継続していただきたいとのエールをこめて、一転して、長期連載を始めることにした。
 神戸で奄美を研究するというユニークな本誌のような存在こそ、「日本」のマスコミが見おとしがちな「奄美」という位置に多くの光をあてることができるし、それによって「日本」社会の成り立ちを多面的に照射し、対象化することが可能だと思うからだ。資本の論理で動いているおおかたのマスメディアは、その根底にスポンサーや組織の存続を背景にしているから、対象の読者・視聴者を広く浅く網にかけようとする。その方向とは逆に、手作りの会報誌『キョラ』には、無一物メディア(の人間たち)が放つ、井の中の水にも似た無尽蔵に深いあじわいというものがある。
 だから、『キョラ』のようなメディアこそあと十年は続けてもらいたいと思う。なぜ十年なのかは、本文を最後までお読みいただくしかないが、そのためには、ぼくも腹をくくって書かせていただくことにした。かねてからぼくがシマで考えているフツーのことを、神戸近辺にいらっしゃるシマッチュたちにムンバナシ(おしゃべり)の形で、できれば毎年つづけたいと念じている。読者のみなさんも、この『キョラ』を定期購読なされて応援していただきたい。

 一九七〇年代の後半、ぼくの両親は奄美で小さな「洋服病院」(補正屋)を、子供たち四人はそれぞれが阪神地方でくらしていた。親戚や知人も多く、ぼくは大阪の港区、兵庫の尼崎、神戸など奄美出身者の多い地域を転々とした。そこは、かつての名瀬の永田橋市場や、アジア各地のにおいのまじったスパイシーな雰囲気などとも似ていて、ぼくの性にはあっていたが、寒さだけには閉口した。やはり一番はだにあうのだろう、ふるさとの奄美にもどって二十年がたとうとしている。

 奄美でくらしているぼくにとって、今、神戸といえば、やはり「阪神大震災」と「神戸事件」だ。奄美から千余キロもはなれてはいるが、野次馬ではいられないからだ。

「一九九五・一・一七兵庫県南部地震」発生。
 大阪と姫路にすむ姉妹は無事だった。西宮の妹はアパートが損壊して仮設住宅でくらしていたが、今は退職して奄美で新生活をいとなんでいる。

「一九九七・五・二四神戸事件」発生。
 吉岡 忍著・「酒鬼薔薇のルーツ」(『文藝春秋』九月号)
 高山文彦著・「地獄の季節」(『新潮四五』十月号・のち単行本化)
 川村 湊著・「南島の惨劇」(『群像』十二月号)
 思えば事件後わずか半年の内に、神戸事件と奄美を関連づけようとする憶測記事が、日本のメジャーな雑誌にやつぎばやに浮上してきたのだった。このことに関しては、本誌三号でも大橋愛由等氏から「少年Aの報道について」という緊急発言が巻頭であったので重複をさけたい。本誌四号でのさらなる展開を期待している。
 ぼくも一連の内容を分析してみたが、おそらくこれらの報道は、少年の逮捕後、二転も三転も空転していた少年の不可解な犯行の動機を補足するために書か(さ)れたのだろうと考えていた。つまり「祖母の死を契機に死に関心」という曖昧模糊とした少年の最終動機の裏づけのために、「祖母の奄美」や「奄美の民俗」、あるいは「奄美と神戸の歴史」などについて彼らは書いたのだと。
ところが、一九九八年の年があけ、書店人という仕事がら、店内の関連資料や、「神戸事件の真相を究明する会」のパンフレットなどに目を通していくうちに、「神戸事件」と「奄美」をつなごうとするマスコミの動きは、単なる「少年の動機の裏づけ取り」という表層的な問題ではなく、国策といってもいいほどの重層的なプログラムの中に組みこまれているのではないかと思い始めてきた。今、静かにふりかえって考えてみると、あのころの取材陣たちは、神戸事件の背後にいる陰のシナリオライター(たち)から、筋書きや資料をリークされてのお仕事だったのかもしれない。

 それにしても、問題の多かった高山文彦氏の、奄美の伝統文化に対する意図的な差別表現については、本研究会からも質問状を送付してくれた。奄美・鹿児島からもいくつか抗議が出された。朝日新聞も大きく取りあげた。しかし今のところ表現した側は無責任で無視に近い態度であり、状況にあまりかわりはないように思える。
 奄美でのシンポジウムの企画はどうなったのだろうか。ほかに奄美の側からうつ手はないのだろうか。一連の奄美差別報道によって迷惑をこうむった奄美出身者たちの間で、一万人規模の賛同者でもつのり、マスコミ報道の不当な奄美差別に対する名誉毀損の提訴をするとか、該当する出版社の不買運動をおこすとかの、関係者たちを土俵にひきずりこんで差別の真意を問うためのアクションをおこさないで、このまま彼らを野放しにしておいていいのだろうか。いつかこのことが風化して、「日本」国民の記憶から消えるのを期待しているだけでは、なんの解決策にもならないし、奄美人のそういうおとなしい島民性こそが、彼らの思うつぼにはまっていると想うのだが。
 人畜有害なデマ情報をまきちらしながら、神戸事件と奄美とをなにがなんでも結ぼうと企んでいる「日本」のマスコミ業界。そのマスコミを動かして、何かをしかけようとしている「日本」上空の黒い霧。ぼくたち内外の奄美出身者は、将来にわたって彼らのアブナイ罠にかからないためにも、「阪神大震災」後に発生した「神戸事件」を、奄美出身者の当面する最重要課題として今からとりくむ運動を展開しなければいけないのではなかろうか。いつか彼らがもくろむ時がきて、手遅れにならないためにもである。
事件の経緯や背景など途中の説明を省いて、いきなり「罠」や「手後れ」などという結論をいそいでしまった。順をおってゆっくり展開しよう。

                                bQへ続く・・・  

(森本眞一郎)

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