040823(てぃき・月)旧7.8、小潮、日出5:56 月出12:42、処暑

きのう、8月22日(日)は奄美統一選。
名瀬市、笠利町、龍郷町、宇検村、和泊町、与論町で、102人が当選したが、女性はなんとたったの3人だけ。与論町では友人の喜山康三は当選したが、龍郷町の福田さんが落選、今後の龍郷町の市町村合併の流れが心配だ。
名瀬市議選は、現職3人が落選。ワンが応援していた人たちは全員ブジだった。今回は生まれて初めて開票所や選挙事務所の祝賀会などにも足を運んだ。選挙などには縁のない人生だったが、シンボルロードなど、人生の死活問題に直面するとそうもいかない。住民の声がちゃんと行政に反映されるように、住民代表を送ることは義務である。
一連の住民運動を勝利させるには、首長を代えれば簡単なことだが、そのためには日常的な積み重ねが必要だ。1年半後に向けての戦略をきょうからはじめよう。

きのうは、旧暦の7月7日。タナバタをかざり、一人息子の一円(ひとまろ)と墓掃除へ。「お前もいつか、どこかで死んだらこの墓にはいる。自分の将来の家だと思ってきれいにしろよ」「わかってるよ、おやじ」

<きょうもまた、死という大事な仕事をひとつずつ・・・>


040817(まってぃ・火)旧7.2大潮、日出5:53 月出6:41

奄美のお盆の迎えは今年は8月28日から。

8月13日(金)は、与論二世の本山謙二クンが来店
東大の大学院から、現在は千葉大学の研究生。社会運動と音楽方面から出自(在日奄美人)にこだわり、ユリイカなどの雑誌などに書いている若手。清孝アニの家で朝方まで歓談。「2,009年に向けてぼくらもいろいろやってます」とのこと。また、原口泉の息子が親父嫌いで、釜が崎で運動していることなど、思わぬところに1,609年の仲間がいたりして、ホ〜ラシャタットォ〜。

8月14日(土)は、商店街連合会の夏祭り、3回目。例年になく賑わい、大好評だった。月1回か、シーズンに1回のサイクルで定着できるように協力せねば。

22時、祭りがひけたあと、金久中学の同窓会の2次会へ。3次会、4次会を経て、帰ったのは午前4時だった。去年は入院中で行けなかった。来年はどうだろう?

8月15日(日)の敗戦記念日は、「奄美・憲法9条の会」設立総会。「奄美」「敗戦」「市民」の概念をめぐり議論。あまりかみあわない会だった。下からの盛り上がりがあるかどうかにかかっていそうだ。

 この日告示となった名瀬市議選。宣伝カーがかまびすしい。業者や政治家や役人のためではなく、「市民のためのまちづくり」派の議員の事務所をいくつか覗く。みんな厳しそう。政治がもっと身近になればいいのに。ほとんどがどうでもいい議員ばかりだ。

8月16日(月)、『ケガレ意識と部落差別を考える』(辻本正教著・解放出版・1999年)読了。
「ハレ・ケ(・ケガ)レ論」(柳田・折口民俗学)から「ケ・ケガレ(・ハレ)論」へ。ケガレとは、毛や気がかれること。 聖職としての「はふり」や「ほふり」。漢字では「祝」「屠」「葬」(はぶる)(ほうる)。奄美の死霊を「ハビラ」「ハビル」というが、語源はこのへんみたい。
差別の構造を絶つには、「多文化主義」で、と著者は結論するが、はたして、どうだろうか。「多様性」とか「多文化」とか「環000」とかでくくられても、差別の実態はかわらない。奄美のシマ差別も同じテーマだが、ここには「民族」の問題もからまってくる。さて、2009年をどうするか?

8月17日(火)、ここんところの不摂生がたたって、のどの奥が痛い。単なるカゼだといいんだが。PET検査から4週間。ちょっと安心しすぎたかも。用心用心。


040811(みじ・水)旧6.25、若潮、日出5:50、月出1:13

終日黙し、終夜黙す
天を仰ぎて黙し、
地に伏して黙す。
(略)
黙、黙、黙、黙。
何ぞこれ言うなる
黙々たる天地また黙、、黙。
人生ただ一人 黙を学ぶにあり。

住谷一彦(立教大学名誉教授)の祖父の弟・住谷天来(非戦平和の牧師)の詩より

きのう10日、家族全員が京阪神の旅から帰宅。
興奮して、思い出の問わず語りが続いた。
よっぽど楽しかったみたいだ。
ワンはこの約二週間、店と自宅の往来(ゆきき)だけだった。
飲み屋や友人宅にも行かず、ただ一人黙していた。
それもまたよし、天の配剤だ。

『「沖縄独立」の系譜ー琉球国を夢見た6人』(比嘉康文著・琉球新報社・04年6月発行・1,780円)を読了。3日かかった。
大浜孫良・先間敏勝・野底武彦・新垣弓太郎・大宜味朝徳・喜友名嗣正たち各氏の壮絶で真摯な一生にヨシ!男はロマンだ。
ワンは、奄美の自治(分離)独立を夢見て生きている

040807(にちゃ・土)旧6.22、小潮、日出5:47、月出23:19、立秋、きのうの気温最高33.6度、最低26.8度

岩崎産業 県を提訴
希少野生動植物 捕獲、採取禁止指定取り消し求め
「財産権侵害、絶滅につながる」
来月6日、鹿地裁で第1回口頭弁論(南海日日新聞、8月7日付)

奄美大島の赤字のバス路線だけからの撤退問題で奄美の住民と行政を怒らせた岩崎産業だが、今度は、奄美の希少野生動植物の自由な捕獲と採取を主張して、県を提訴した。自分のことだけしか考えていない、植民地根性がきっぱり。
カゴシマの岩崎産業は、戦前は満鉄の線路に使う枕木の輸出で、奄美の山を買い占めた悪徳会社だ。
あくどい商法によって、奄美大島の山林面積のなんと一割に当たる六千四百八十二f(実測)を所有しているそうだ。「自然の権利訴訟」は、アマミノクロウサギなどが原告となっって県知事を訴えた裁判だったが、実はこれも、住用村の市(いち)崎一帯を所有する同社が計画しているゴルフ場開発を阻止するための裁判だった。奄美を食い物にするだけしたあげくに、今度は、希少野生の動植物の自由な捕獲と採集を主張してきた。怒り心頭だ。断固、抗議する。奄美は岩崎の横暴な奄美支配を許さんぞぉ。

きょうのニュースからもう一本。

『広島原爆の日』、笠利町では防空壕避難者が集団被爆
中央公園裏山の慰霊碑 遺族や教委職員が参拝
犠牲者に祈り、平和噛み締める(大島新聞、8月7日付)

この記事の中の「慰霊碑が建つ裏山には『コの字型』の防空壕が設けられ、その入り口に米軍機による爆弾が投下され直撃を受けたという」という『コの字型』の防空壕。これは、奄美と八重山で戦時中に住民の集団自殺用にと掘られた防空壕なのだ
笠利町の教育委員も、地元の新聞記者たちもそこまで調べてないようだが、歴史には深い溝があり、行間と行間のすき間を読まないと、繰り返す歴史に翻弄される、という一例を。ちなみに集団自決の目的は日本の軍隊さんたちの安全と食糧の確保のためっだんです。


040802(てぃき・月)旧6.17、大潮、日出5:44、月出20:41、

祭りの夏 前半ピーク

「奄美の夏祭りは8月1日、名瀬や宇検、喜界、徳之島、天城、知名の計六市町村であり、前半のピークを迎えた。舞台発表やパレード、八月踊り、船こぎ競争、相撲大会、花火大会などにぎやかに繰り広げられ、家族連れや帰省客らが夏の風物詩を楽しんだ。」(南海日日新聞、8月2日付け)

賑やかな夏祭りだったらしいが、あまり関係なかった。
家族が全員、京阪神へ旅たったから。
神戸にいるワンの妹の招待。
なんと、8月10日までの長期旅行だ。

7月29日(木)、子どもら4人が先陣で京都へ。
翌30日(金)、カミサンが後を追い出発。
オフクロは、老人施設の「虹の丘」へショートステイ。
寂寥感と開放感がないまぜだ。
でもでかける気になれず、終日、自宅ですごす。
仕入れてきた本を読み漁り、風呂につかり、一杯やって、一眠り。
それの単純な繰り返し。

がん告知から、1年と4ヶ月。
こうして、ここのHP「店頭より」を更新している不可思議さ。
先週は移動で疲れたが、今週はどうせヒマだ。
先月は、あまみ庵の歴史を初めて書きこんだ。
今月は、闘病記を公開しよう。

先週、新宿時代のダチ公が末期癌で入院中という連絡がはいった。
その関係で、ムカシの仲間からのメールもいくつか。
よし、そろそろ、ワンの人生の旅もまとめよう。
このHPの「書きょうたんじゃが」は、遺稿集になるかもしれないが、それ以外に、
1,609年の総括と展開をまとめる仕事が残っている。
「琉球弧」や「ヤポネシア」の批判的総括もだ。

露悪趣味だろうか。
死というマツリの準備・・・・・・
備えあってもうれいはある。
ならば、せめて、お世話になった今生へのお供えだけでも・・・
がんの機械的な検査はクリアーできても、心の油断は大敵だ。
日々これ口実(!)
苺(イチゴ)一枝!だ〜。


040728(みじ)旧6.12、中潮、日出5:42、月出16:03、さるすべり開花

鹿児島市に行ってきた。

7月23日(金)、21時乗船
7月24日(土)、08時下船、上陸。
12時半、「厚地記念クリニック、PET画像診断センター」で受付。
14時半、がん検査終了。(検査の内容)

検査の結果、5〜10mm以上のがん細胞は、全身のどこからも検出されなかった。
ワンのがんは、この一年で再発も転移もせず、完治・根治されていた!
酒も煙草も止め切れてないのになぜだろう。
そのかわり、仕事と運動からは、遠ざかってのんびり暮らしてきた。
まさに「病は気から」、ストレスが解消したのだろう。

なせか散髪などして、独りでるんるんの祝杯。
去年の今頃は、沖縄の「ハートライフ病院」でさびしく入院していた。
夕方、ホテルアルファ館投宿。
夜、「群倉(ぼれぐら)」で独り静かに、飲む。

7月25日(日)、夜7時、鹿児島一番の南方新社の「10周年・100冊刊行祝賀会」に出席。
参加者は100名以上。
奄美・沖縄グループも登壇。
ワンも一席ぶちかました。
「沖縄・奄美・鹿児島は、同時多発的に共同戦線を張ろう!」
2次会(osame)も盛り上がった後、3次会はムコハラ代表とムッちゃんとワン。

7月26日(月)、沖縄一番の出版社、ボーダーインクの宮城社長と昼の天文館。
夜は、その足で南方新社のみなさん(8人)の慰労会に出席。
2次会は、ムコハラ代表と遠矢さんとワン。

7月27日(火)、行きつけの自然食レストラン「作楽(さら)」で夕方まで仮眠。
赤星さんご夫婦には、いつもお世話になっている。
その隣の「茶花」にも今回は縁があって、楽しい出会いがあった。

そこで得た情報で本とグッズの「ビレッジバンガード」に立ち寄る。
うちの若い従業員・徳永くんあたりのセンスを使えば、将来の店の進路を変えることができるかも。ブックオフにも寄ったが、怖いお店だ。奄美に出店されたら、あまみ庵なんぞはひとたまりもないだろう。

船に乗る前に、インドネシアンが経営する「カフェ プラウ(島)アニマ(甘い)」(あまみ島)へも立ち寄る。かわいい奥さんは、なんと古仁屋の「シェルロード」(西川さん)の娘さんだった。インドネシア製のかっこいい便座(28,000円)を買い込んだために、船に乗り遅れた。所持金わずかに2,000円。

波止場に呆然とたたずんでいたら、なんと、船がもどってきた
やっぱ、島旅は船にかぎる。
諦めていたのに、生という船に乗船できたのだ。

船内で遭った、瀬戸内の義(よし)さん、奄美本通りの榊(さかき)さんたち縁起のいい名前と飲み食い。デッキで島影と星空を肴に飲んでたら、ジャバラレコードの森田代表と奇遇。ワンが癌で危ないという情報を聞いていたらしく、泣いて喜んでくれた。

7月28日(水)午前5時、奄美着。
4泊5日。
実に、いい旅だった。


040720(まってぃ)旧6.4、中潮、日出5:37、月出7:49、はればれ

藤井勇夫アニの49日の法事が7月18日に。


17日には、鹿児島の南方新社の向原さんと奥さん方が来島。
アニの学生時代の友人、ML派の全国議長の東間さんも兵庫県丹波から来島。
18日(日)は、ご親族をはじめカケロマなどから約20人が参会した。
19日は、自由行動。吾んは自宅にて終日、睡眠。
20日、先ほど東間さんとユウイチやミチヨちゃんたちが来店、飛行場へと送っていった。
「勇夫アニは、喜んだろうか?」
吾ンの質問に「うん、喜んだよ」との返事。
次は、雑誌の刊行や「2009年」へ向けての仕事が待っている。
「死という大事な仕事」へ向けての最期の一歩が始まった。
040707(みじ・水)旧5.20、中潮、日出5:31、月出23:19、曇

7月1日(木)のこと。
奄美博物館の学芸員・久(ひさし)さんから電話。
「森本さんちの近くの山の工事で、川に祀られている石像が近く壊されるそうで、今日、3時からそのお払いの神事があります。」
早速、行ってみた。
うちの山の隣にながれている川の上流は、神おがみの場所とは聞いていた。
行ってみてびっくり。

巨岩を噛んだアコギの大木の下に、祠や石像(仏)などが9体と「水神の碑」が!

急傾斜地区の土石流防止事業でそれらが全部、移転されるという。
鹿児島県の河川港湾課の担当の篠原さんに現地保存をお願いした。
「単純に壊すのならキャンペーンをはりますよ」とワン。
「個人的には手をつけたくありませんが、文化財指定なら・・・」との返事。

事の重大さがわからないのだろう。
何人かに現地を見てもらった。
異口同音に「現地保存だ」との反応。

あれから一週間。
名瀬市の教育委員会の文化財保護審議委員会が、県大島支庁の河川港湾課に設計変更を求める要望書を、明日8日、提出するという。ホッ!
やはり、奄美でも珍しいという。(鹿児島県内でも)
水の神、山ノ神、セック(大工)の神などに守られながら生きてきた奄美の人々の暮らしと文化。
それを、予算消化のためのムダな公共事業でむやみに壊していく政官業の面々。
シマ島の神々の怒りはこのままでは収まらないだろう。

「まちづくり」という美名の「まちこわし」事業も同罪だ。